祖母ムツミパール
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/12 17:58 UTC 版)
「アイネスフウジン」の記事における「祖母ムツミパール」の解説
吉兵衛が1965年に生産したムツミパールは、26戦4勝で競走馬を引退。その後は、吉兵衛の下で繁殖牝馬となり、1971年からは産駒を残し続けていた。この時、知人に「ノースマン(Norseman)の4×3」により「奇跡の血量」が成立するシーホークの配合を勧められたが、それまでシーホークの活躍馬がいなかったことから採用を見送っている。1975年の配合相手に吉兵衛は、産駒にランドプリンスやテスコガビーなどの活躍馬が出ていたテスコボーイを希望した。 テスコボーイは、日高軽種馬農業協同組合(農協)が日本に導入した種牡馬であり、活躍馬が出ていて馬産地の評判が良かった。農協所有で種付け料が安いことから、コストが低く高値が付くことから、牧場経営には好都合だった。ただしその分人気もあるため、農協はテスコボーイの種付け権利を抽選で販売していた。人気のテスコボーイの倍率は高かったが、吉兵衛は当選。こうしてムツミパールに良血のテスコボーイが交配された。
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