祇園之洲の埋立て
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/27 05:09 UTC 版)
旧来の祇園之洲から水路を挟んで東側の海岸が鹿児島開発事業団によって上町地区一帯の振興を図るため観光施設等の用地確保を目的に埋立てられることとなり、1972年(昭和47年)から1987年(昭和62年)にかけて事業が行われた。せばる団地(現在の東坂元)の開発に伴って排出された土砂によって埋立てられており、同じく鹿児島開発事業団が施工した与次郎の埋立て時にも用いられたパイプラインで搬出する「水搬工法」により運搬された。せばる団地で排出された土砂は稲荷川に設置された送泥管によって祇園之洲まで運搬された。埋め立て面積は84,100平方メートル、総事業費は223,757万円であった。 1977年(昭和52年)には祇園之洲の埋立てが完成し、同年11月7日に清水町地先の公有水面埋立地(祇園之洲)の区域に鹿児島市の町「祇園之洲町」が設置された。 1978年(昭和53年)には祇園之洲がヤジロウの案内によってフランシスコ・ザビエルが天文18年(1549年)に上陸した地であることから祇園之洲公園にザビエル上陸記念碑が設置されている。1979年(昭和54年)には祇園之洲町に鹿児島市福祉コミュニティセンターが設置された。1994年(平成6年)3月には祇園之洲町と小川町の間を結ぶ国道10号鹿児島北バイパスが開通した。
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