社会的現実
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/29 05:14 UTC 版)
The Construction of Social Reality (1997)においてサールは、人間の社会は、個々人の志向性には還元できない集合的な志向性(collective intentionality)によって構築されるものだと考える。例えばある対象を「スクリュードライバー」であると了解するには、その対象の生の現実性(crude reality)とは別の社会的次元において、スクリュードライバーとしての機能を授けるというプロセスが必要である。そのプロセスをサールは、"X counts as Y in C"(Xは文脈CにおいてYであると見なされる)という志向性の機能だとする(例えば、この紙片=Xはアメリカ合衆国=Cにおいて1ドル札=Yだと見なされる)。このように社会的な次元で構築される、生の現実性には還元できない現実性を、サールは社会的現実(social reality)と名づけている。 対人間における約束や義務、道徳といった問題も、社会的現実を構成する志向性という見地からアプローチされる。例えば主人と奴隷のような関係の場合、奴隷は本人の意思に反して奴隷という境遇を受け入れさせられたのであり、そのような場合には社会的義務を構成するのに不可欠な当事者の志向性が欠落しているのであり、したがって奴隷がその境遇に甘んじる義務はないとされる。「約束を守る」というような社会的な道徳とは、以上のように当事者の志向性に裏打ちされた発話行為によって構成されるものであって(カント主義者が考えるように)外的な道徳律によって判断・規制されるものではないとサールは考える。
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