石埜三千穂の説
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/15 17:13 UTC 版)
石埜三千穂(2017年、2018年)は諏訪御子神(十三所王子)信仰の発展を中世の王子信仰に照らして自説を挙げており、それにはミシャグジ(ここではミシャグジそのものと「ミシャグジを称する社祠」が区別されている)が絡んでいる。 元日の御占神事で一年の間に上社の神事に奉仕する郷村(御頭郷)が選定されると、選ばれた村から婚姻未犯の童男が神使(おこう)として出仕させられる。少年たちは新築されミシャグジを降ろした精進屋の中に30日間の精進潔斎に臨む。それが終わると神使(おこう)たちにミシャグジが付けられ、諏訪・上伊那の各地にある湛(たたえ・たたい)と呼ばれる聖地(樹木・岩石など)を巡る。精進屋に付けられたミシャグジが神上げされた後に取り壊され、その場に新たな祠が建てられる。これが「ミシャグジ社」である。つまり、石埜の説では諏訪に見られる「ミシャグジ社」は本来「ミシャグジを祀る社祠」ではなく「ミシャグジが降りた場所を記念する祠」である。 新造された「ミシャグジ社」には諏訪明神の御子神(王子神)が祀られる。いわば、神長が降ろしたミシャグジによって新たな神が「生まれる」とされる。(上述の通り、石埜はミシャグジそのものを神長が扱う「諏訪明神のために働く力」・「生命力」という抽象的なものと解釈しており、神社に鎮座するような存在ではなかったとしている。)このことが諏訪御子神信仰の発展に繋がるとしている。
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