矢坪の一つ火
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/02/11 06:58 UTC 版)
永昌院の所在する矢坪地区には「矢坪の一つ火」という伝承が残されている。その昔、夜になって永昌院の裏山を山麓から眺めると、火の玉がひとつ点いたり消えたりしているのが見えることがあり、村の人々が調べたが火の玉の原因は分からなかった。同じ頃、永昌院には伝海禅法院という僧侶がいた。法印は裏山の見回りを仕事のひとつとしており、ちょうちんを片手に鈴の音を鳴らしながら出かけて行き、見回りをする法院の姿が見えなくなっても、鈴の音で法印の位置を知らせてくれていた。ところがある日、いつものように山の見回りに出掛けた法院が寺に戻らず、村人が何日も掛けて山全体を探したが法院の姿はどこにも見当たらなかった。村人は嘆き悲しみ、法院の姿を木像にし本堂に安置して供養をした。 不思議なことにその後、雨の日になると必ず木像の杖に泥がついており、不思議に思った村人は泥を拭き取ったが、雨の日のたびに新しい泥がついており、村の人々は「法院さまは、今でも山の見回りをしていてくれるのに違いない」と語り合うようになった。永昌院の裏山にはその後も、一つ火が点いたり消えたりするのが見え、矢坪の人々は法院が裏山を見回り村を守ってくれている合図と信じるようになった。法院の供養搭は永昌院の墓地に建てられている。
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