着用水着の変遷
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/21 02:29 UTC 版)
北島は「SPEEDO」の水着を好んでいたが、所属していた東京スイミングセンターが「arena」ブランドの日本国内でのライセンシー(実施権者)であるデサントと親しかったため、個人の広告活動の解禁まで「arena」製の水着を使用していた。アテネ五輪の年から「SPEEDO」の水着を使用したが、そのライセンシーだったミズノが独自水着の販売に踏み切ると、ミズノとの契約を続けた。2008年、三井物産とゴールドウインが日本ライセンシーとなった「SPEEDO」が新型水着「レーザー・レーサー」を発表し、中村礼子(アシックスと契約)は新型水着を試したが、北島はミズノ製の水着を着用し続けた。 また、2008年5月18日に、東京辰巳国際水泳場で行われた競泳早慶戦にオープン参加したとき、北島は日本選手権用の旧タイプ水着を着用した。試合後のインタビュー会見を開いた。そのときに、例の「SPEEDO」新型水着に関して質問が集中するなどメディアが騒ぎ立てる水着問題に対して、北島は「正直言って、うっとい(うっとうしい)ですね。もっと違ったカタチで水泳に注目してほしい」と珍しくイラ立ちを見せた。 2008年6月、「ジャパン・オープン」では、英語で「I AM THE SWIMMER」、中国語で「是我在遊泳」と書かれたTシャツでプールサイドに現れ、水着騒動に「泳ぐのは僕だ」と主張して一石を投じた。この大会では、途中までミズノ製の改良型水着でタイムが伸びなかったが、レーザーレーサーを着用して世界記録を更新した。6月11日、公式サイトで「北京オリンピックではSPEEDOの水着を着用しようと思います」と表明した。 なお2012年に入り、かつて通ったスイミングクラブ経由での契約関係にあった「arena」陣営に今度は自らの意思で再移籍し、ロンドンオリンピックを含む2年契約を結んだ。柴田亜衣がデサントを退社し、同社がこれに代わる広告塔を求めていたこと、ミズノが経費削減の一環として日本人では社員である寺川綾を前面に押し出す戦略をとったことなどが影響した。
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