県以外の地方長官
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/03 01:38 UTC 版)
秦の始皇帝の時代に郡県制が整備され県の上に郡が位置づけられ、郡が上、県が下という統属関係が設けられた。 漢の武帝のときに全国を監察区域として13の州に分け、各州の検察官として郡と県を監察する刺史を任命した。郡の長は太守と称した。当初、刺史は各郡の太守より官位が低かったが、州が監察区域から行政区域に変わると州の長官になり、軍事と民政を掌握する軍閥になった。県の下位には郷、その下に里があった。郷の長は三老と称し、里の長は里正と称した。@media screen{.mw-parser-output .fix-domain{border-bottom:dashed 1px}}県令が民政から軍事・警察までに及ぶ行政全般を管轄するのに対し、郷の三老ならびに里の里正は民政のみを管轄した[要出典][要検証 – ノート]。 「漢代の地方制度」も参照 州――郡――県―┬県令―┬県丞(副官) │ │ └県尉 ├郷―┬三老 │ │ │ └里――里正 └亭―┬亭長(農村等の治安・訴訟担当) └亭吏(同補佐)
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