皮弁服の下賜と琉球王権のシンボル化
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「琉球の朝貢と冊封の歴史」の記事における「皮弁服の下賜と琉球王権のシンボル化」の解説
琉球国王には明から冠と衣服の下賜を受けるようになった。皮弁冠服の下賜である。下賜された冠は鹿皮製の皮弁冠と呼ばれるもので、古代は冕冠に次ぐ冠とされていたが、明の時代は皇帝、皇太子、親王、親王の世子、郡王クラスが着用するものとされ、臣下は着用が許されなかった。琉球に下賜された皮弁冠は七縫三采玉七と呼ばれる、三種類の玉を七列に七つづつちりばめた、郡王クラスのものであった。また服も皮弁服と呼ばれ、衿に5つの文様が織り込まれた紅の服であり、これもまた郡王クラスのものであった。 明から皮弁冠服の下賜を受けたのは、中山王武寧ないし尚思紹が最初であるとされている。その後明代を通じ、琉球国王は明から皮弁冠服の下賜を受け続ける。そして皮弁冠服は琉球国家に王権と身分制の確立に大きく寄与した。明は冠服を厳格に統制し、身分や官職を表すシンボルとしていた。琉球はこの明のシステムを導入し、明の皇帝から下賜された皮弁冠服を着用する国王を中心に、身分そして官職を統制された衣冠によって示す体制を整えていった。そのような中で皮弁冠服は琉球王権の象徴となり、明から清へと王朝が交代して中国の服制にも大きな変化が起き、清からは皮弁冠服の下賜が行われなくなった後も、琉球国王は明代と変わらずに皮弁冠服を着用し続ける。
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