百王説
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/23 03:53 UTC 版)
中国の南北朝時代の僧・宝誌の手によるとされる「野馬台詩」が、日本では皇室の未来を予言したものだという説が中世にかけて流布し、「百王説」が論じられた。これは『古事記』上巻序いかなる王朝も100代までで滅びるという解釈がされる記述があり、すでに鎌倉時代初期には『愚管抄』などでも取り上げられている。ただし、「百王」の意味は百代ではなく「数多き王」を意味するという解釈も存在した。 その後の南北朝時代、皇統は神武以来100代に達するという理解から、折からの政情不安と末法思想が相まって、北畠親房が言及するなど大いに論じられた。また、室町幕府将軍の足利義満も百王説に関心を示していたという。日蓮の立正安国論にも登場する。 歴代天皇の数え方については諸説があるが、南朝を正統とする数え方では南北朝合一後の後小松天皇が百代となり、中世にはこれとは別に北朝の後円融天皇を百代とする理解が存在した。
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