発注と引き渡し
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2015/02/21 08:16 UTC 版)
発注機数は4機(確定-32型3機、オプション1機。後にオプションを1機追加し-33型機に機種変更)で、当時日本航空および日本政府の外貨準備高がまだまだ低かったこともあり、DC-8を購入するにあたり、その購入資金の4分の3はアメリカ輸出入銀行とダグラス社からの借款によって調達した。 なお、日本航空がオーダーする直前にユナイテッド航空やデルタ航空が大量発注したことや、初の本格的な国際線用機材であったこともあり、引き渡しが競合他社に比べ大幅に遅れることがわかったため、日本航空の技術駐在員がダグラス社との間で引き渡し順を繰り上げるよう交渉を行い、1960年7月には引き渡しを受けられるようになった。さらに1959年9月に予定されていたパンアメリカン航空のボーイング707の太平洋横断路線導入とのギャップを埋めるべく、ボーイングとコンチネンタル航空に対して、早期に引き渡される予定の2機のボーイング707をリースできるよう両社と交渉を行ったが、この交渉は不調に終わった。 日本航空のDC-8の路線就航に11か月先立つ1959年9月7日に、パンアメリカン航空のボーイング707が太平洋横断路線に導入された。その結果、太平洋横断路線の乗客の多くは旧型プロペラ機のダグラスDC-7Cで運航する日本航空ではなく、所要時間が少なく快適なボーイング707で運航しているパンアメリカン航空を選択したため、日本航空は収益上の大打撃を受け(この様な状況はノースウェスト航空やカナダ太平洋航空も同様であった)、赤字に転落することを余儀なくされた。[要出典]
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