発掘までの経緯
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/04/08 05:00 UTC 版)
畝傍山の南東側の沖積地に広がる橿原遺跡は、「紀元2600年(神武天皇即位紀元)」記念祝典の一つとして行われた橿原神宮とその周辺の地域整備工事が原因となって発掘調査が実施された。橿原遺跡については文久3年の神武天皇陵修理の際に出土した遺物や、明治37年の高橋建自氏による「神武陵西発見の石器時代土器」の報告などがあって、畝傍山の東側山麓に遺跡が存在することは既に明らかになっていたが、学術的な発掘調査は昭和に入ってから実施された。1938年9月13日に末永雅雄博士の主導によって開始された発掘調査は凡そ2ヶ年半の長期にわたり、発掘面積も約10万m2に及ぶ大規模なものであった。
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