番組エピソードなど
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/14 18:16 UTC 版)
「中島みゆきのオールナイトニッポン」の記事における「番組エピソードなど」の解説
第1回の1979年4月2日の放送は、当時放映していたTBSドラマ「たとえば、愛」の登場人物である九条冬子の語りと、三橋美智也の「達者でナ」の一節で始まった。一曲目は甲斐バンドの「東京の一夜」。ちなみにこの放送において中島は、松山千春について「臨月のため北海道に戻っておりますので、いい子を産んでいただきたい」といじったトークをしていた。 ペンネームを読む際は、リスナーの希望でエコーをかける事が通例となっており、「○○エコー希望」と称し様々な種類のエコーがかけられた。3通に1通の割合で「エコー希望」と書かれていた統計があったという。番組内で中島がリスナーのハガキの住所が書かれた表面から本題が書かれた裏面を読むためひっくり返す時、その音をわざとマイクの前で起こしていた。 毎回最後に読むハガキとエンディング曲は、中島自身がかなり吟味して選んでいたという。一部のスタッフからは、「番組のエンディングをきれいにまとめるのはみゆきさんの美学」とも言われていた。ディレクターには事前に中島が選んだエンディング曲を伝えられ、毎回曲の長さを計算に入れて本番に臨んだ。本番では中島が最後のハガキを読み終える直前にスタッフが曲のイントロを流し始め、曲の終了からきっかり3秒後に午前3時の時報が鳴るようにしていたという。 放送期間中に一度だけ、中島が最後のハガキで悩みを相談してきたリスナーの名前だけ紹介して内容を読まなかったことがあるという。その時中島は、「あなたのお悩みは私には大きすぎて簡単にはお答えできません」とだけ言った。中島は手紙を出してくれたリスナーに安易な助言をせず、正直な自分の気持ちを伝えたという。
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