略歴・2
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/14 05:32 UTC 版)
信憑性は確かではないが、『飛騨編年史要』に本家からの絶縁経緯がみられる。金森氏家系図にも該当。但し年齢は全くもって不明。 金森長近の兄、政近の嫡男として誕生。 名は一吉、掃部介。別名に金森掃部介可憲(かなもりかもんのすけありのり)。弟に金森主殿義隆。 豊臣秀吉に仕えて、関ヶ原の戦いでは、西軍に属した。 この際三木氏の残党とともに飛騨に侵入したため、金森可重に絶縁状を出され、飛騨を退去した。 大坂の陣にも豊臣方で参戦。(夏の陣で参戦は見られるが、冬の陣は不明。) 和睦後、城を退去して尾張徳川家に仕えた。
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