留日中華YMCA時代
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1907年(明治40年)、豊多摩郡戸塚村に作られ、東京専門学校に留学した中国出身者を受け入れていた「中華留学生会館」を前身とする。清から日本に留学する学生は日露戦争が終結した1905年(明治38年)以降急増し、1906年(明治39年)には中華留日基督教青年会が発足した。その翌年に建設されたのがこの留学生会館である。 中華民国成立後は「中華民国留学生会館」と改称、後に政治家となる李大釗もここに住んだ。会館の土地と建物は日本YMCA同盟の所有で、当初は同盟が法人化していなかったことから江原素六と元田作之進の個人名義で登記されていた。やがて建物は使用されなくなり、1916年(大正5年)時点では空家となっていた。
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