田中支配の確立
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/16 06:49 UTC 版)
鈴木内閣(1980〜1982) ハプニング解散後の総選挙の期間中、大平は急死してしまう。「大平総理の弔い合戦」というこれまでに無い党内の士気の高まりと有権者の大平への同情票の流れもあり自民党は大勝する。 大平への同情ムードの余韻の中で福田派をはじめとする反主流派の口幅は小さく、旧大平派の田中六助が「本籍地田中派現住所大平派」ともいわれた鈴木善幸を総理後継に周旋し、これに岸信介が応じたため福田派としても鈴木後継を容認することとなった(経緯)。 鈴木の総理就任で田中の支配体制は強まりキングメーカーとして政界に大きな影響力を持つことになったが、鈴木は「和の政治」をスローガンに掲げて就任したこともあり、鈴木政権下では福田派が際立って冷遇されることもなく、派閥レベルでの対立は沈静化している。
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