琴と宮城道雄
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/08 20:38 UTC 版)
岡山時代から琴の演奏に熱心に取り組み、上京後は、「春の海」などの作曲で知られる宮城道雄に師事した。当初は師弟関係であったが、のちに二人は大の親友となり、宮城との交流を描いた随筆も多い。逆に宮城道雄の著作については百閒が文章指南をしていた。百閒と宮城は、ロシア文学者の米川正夫や童謡作詞家の葛原しげるらともに「桑原会」(そうげんかい)という文学者による琴の演奏会を催していたこともある。「桑原」には「箏弦」の意と、聞いたものが恐ろしくて「くわばら、くわばら」と言って逃げ出すという意味があった。1956年(昭和31年)6月25日未明、宮城が大阪行夜行急行「銀河」から転落死した後、百閒は追悼の意を込めて遭難現場となった東海道本線刈谷駅を訪問し、随筆「東海道刈谷驛」を記している。
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