理研ヴィタミン
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/17 01:40 UTC 版)
同年、鈴木梅太郎研究室所属の高橋克己が、長岡半太郎や寺田寅彦の助力を得てタラの肝油から世界で初めてビタミンAの分離と抽出に成功した。試作品として売り出したところ、肺結核の特効薬との噂が広まり患者の家族らが殺到、大河内はその様子を見てこれを製品化することを決断し、鈴木梅太郎研究室をせきたてて4ヶ月で製品化にこぎつけた。既存の医薬品企業と提携せずに理研の自主生産で「理研ヴィタミン」を販売し、その販売収益により財政難は解消に向かうこととなった。1924年(大正13年)には理研の作業収入の8割をビタミンAが稼ぎ出す状況であった。ビタミンAの1カプセルあたりの製造原価は1-2銭だったが、これを10銭で直接販売して暴利を得ていたのである。
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