王立工務局事務局長
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「アルジャーノン・フリーマン=ミットフォード (初代リーズデイル男爵)」の記事における「王立工務局事務局長」の解説
1872年に財務省工務局 (Her Majesty's Office of Works) に副長官として入局し、1874年から1886年まで長官を務め、国内王室不動産や在外公館の営繕の指揮を執った。この間にロンドン塔の修復やハイド・パークの造園に関わっている。1886年、従兄弟のリーズデイル伯爵ジョン・フリーマン=ミットフォードの死により、その遺産を受け継いだ。この際に、フリーマンの名前も引き継いだ。1880年12月、外務卿の井上馨の指示で首都官庁集中計画にふさわしい建築家を探していた駐英公使園田孝吉はミットフォードを訪ねて、建築家の推薦を相談した。 1887年には英国行政委員会のメンバーとなった。1892年から1895年まで、 ストラフォード・オン・エイヴォン選挙区(英語版)から選出されて保守党所属の庶民院議員を努めた。1902年には連合王国貴族爵位リーズデイル男爵に叙され、貴族院議員に列した
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