王の道の歴史
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/04/28 20:26 UTC 版)
「王の道」が、ペルシア帝国の重要な諸都市を結ぶ、最短かつもっとも容易なルートを伝っていないことより、考古学者たちは、公道を構成する西の大部分は、元々アッシリアの王たちが建造したものだろうと考えている。道路が、古代のアッシリア帝国の中心部を貫通して走っているからである。現代の北部イランに位置する道路の北側の部分は、シルクロードとして知られる大通商路と一致する。 とはいえ、今日認められている通り、ダレイオス1世は、道路の路床を整備し、ばらばらであった通路を互いに結んで、一つの大公道を建造したのである。帝国の「pirradaziš 」、または伝達使による、迅速な情報伝達と交通の確立がその主要な目的であった。 ダレイオスによる道路の建造と整備は、古代ローマ時代においても、なおこの公道が利用され続けたほどに質の高いものであった。トルコのディヤルバクルの橋は、この道路が使用されていた時代以降、なお現代でも存続している。
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