玉田守慰霊碑
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/31 06:21 UTC 版)
表面故陸軍々曹玉田守殉職之地 裏面経歴 陸軍々曹玉田守君 君ハ大正十二年二月十日山口県大島郡 小松町開作ニ生シ 昭和十六年第七期 少年飛行兵ノ課程ヲ卒ヘ 戦斗操縦者 トシテ 奉公中昭和十七年五月二十日 十一時二十分 現位置ニ墜落シ殉職セ ラル 北部軍司令官 陸軍中将 浜本喜三郎書 9機で札幌飛行場を飛び立ち、爆撃機に見立てた標的機への攻撃訓練で、そのうちの1機が標的機に接触、主翼が破損し、福住地区に墜落した事故である。 殉職した玉田であるが、山口県の実家は、既に父親が他界し生活苦もあったために、福住地区の有志によりこの慰霊碑を建立した。 事故機の残骸は福住地区だけではなく、西岡まで飛散した。 2014年11月20日:倒壊の危険があるので、解体、撤去。 2015年6月:新たに制作した慰霊碑を同じ場所に公開。
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