玄月による批評
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/06/23 09:07 UTC 版)
「美しいアナベル・リイ」の記事における「玄月による批評」の解説
作家・玄月は、作品内容に触れて、30年前の映画制作において、サクラが木守から性的虐待の事実を明かされて精神的に深いダメージを負う前半部と、男二人組(肥満した老人になった「私」、ガンが再発して死期が近い木守)が衰弱したのに比して、サクラが生き生きとしてくる後半部の対比と、その力強く再起したサクラへの男二人組のリスペクトこそが本作の要であろうと論じる。そして本書の構成は高度に巧緻であるが、サクラを描き切るためにあらゆるものを動員した結果こうなったのではないか、と述べる。また、上映中の映画館に途中で入ったかのように、大江の中期作『「雨の木」を聴く女たち』にいきなり触れた、自らの大江文学とに出会いの思い出を語ったうえで、本作は著者の過去の長編と比べると小振りで読みやすく、これから新しく大江読者となる人の初めの一冊としても申し分ないと述べる。
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