猿楽の上手としての側面
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/08 07:03 UTC 版)
仲孝は猿楽をよくし、能楽史上では下間少進として知られている。よってこの節では少進とよぶ。 少進は若年から金春大夫笈蓮の元で修行し、金春流の秘伝はすべて伝承、当時のアマチュア猿楽「手猿楽」の第一人者として著名であった。金春流ではとだえていた「関寺小町」を復曲上演するなど、プロをもしのぐ活躍をした。 天正16年(1588年)から『能之留帳(のうのとめちょう)』と題する演能記録を残しており、この記録によって共演者や観客が詳細にわかる。それによると、少進は豊臣秀次の猿楽指南役をつとめ、豊臣秀吉や徳川家康の前でも猿楽を披露している。元和元年(1615年)には禁裏(天皇の御所)でも猿楽を演じ、「当時の上手」であるという記録が、『義演准后日記』にみえる。 家康の4男松平忠吉に猿楽の秘伝書『童舞抄』を伝授するなど、猿楽をもって下間家の存続をはかったという評価もなされている。少進の残した『能之留帳』などの記録や『笈蓮江問日記』『少進聞書』といった聞き書き、『童舞抄』『舞台之図』などの伝書は、能楽史のうえからも貴重なものとされている。
※この「猿楽の上手としての側面」の解説は、「下間仲孝」の解説の一部です。
「猿楽の上手としての側面」を含む「下間仲孝」の記事については、「下間仲孝」の概要を参照ください。
- 猿楽の上手としての側面のページへのリンク