狭山市長時代
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/20 07:59 UTC 版)
1986年4月1日、狭山市長町田佐一が急死。市長選挙を行う事となり、県議であった大野は出馬を9日に正式表明。 「町田市政の継承」「市民参加の市政推進」などを訴え、5月18日に執り行われた狭山市長選挙において、前助役の北田保男らを破り初当選を果たした。 1990年4月22日、日本共産党公認の金子健一(後1997年~2009年、入間市議会議員3期)を破り、市長に再選される。 ユニークな市政を展開する市長として岩國哲人・島根県出雲市長(元・民主党衆議院議員)、佐川一信・茨城県水戸市長らとともに月刊誌『THE21』等で紹介される。 1994年3月、町田佐一の長男で自由民主党の埼玉県議会議員だった町田潤一が市長選挙立候補を表明。4月24日の市長選挙において潤一に敗れ落選。
※この「狭山市長時代」の解説は、「大野松茂」の解説の一部です。
「狭山市長時代」を含む「大野松茂」の記事については、「大野松茂」の概要を参照ください。
- 狭山市長時代のページへのリンク