物流拠点に建設された恭仁宮
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/16 08:44 UTC 版)
「彷徨五年」の記事における「物流拠点に建設された恭仁宮」の解説
恭仁宮は平城京の北東に位置し、東西に流れる泉川(現在の木津川)を挟んで、中枢部の大極殿や内裏などは川の北側に、それ以外の建物は川の南側に建築された。また内裏などがあった左京と、川港のあった右京は鹿背山で隔てられていたと考えられている。右京には恭仁宮の建設が始まる前から、平城宮に直結する道路と木津川を利用した水運に関わる大きな港(泉津)があった。平城京内外の大規模な官衙や寺院の建物に使用される木材は、近江国から瀬田川と泉川を通ってここに集められ、奈良盆地へ送られた。。1973年から継続している発掘調査によれば、恭仁宮の中心部の面積は平城宮の1/3、大極殿や朝堂院も平城京に比べて大幅に縮小されていた。なお都の中央を川が横切る形態は唐の洛陽城(城内の中央を洛水が流れる)に倣ったとされる。
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