片岡秀太郎 (2代目)とは? わかりやすく解説

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片岡秀太郎 (2代目)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/06/08 10:24 UTC 版)

にだいめ かたおか ひでたろう
二代目 片岡 秀太郎

演劇出版社『演劇界』第25巻第12号(1967)より
屋号 松嶋屋
定紋 七つ割り丸に二引 
生年月日 1941年9月13日
没年月日 (2021-05-23) 2021年5月23日(79歳没)
本名 片岡 かたおか 彦人 よしひと
襲名歴 1. 片岡彦人
2. 二代目片岡秀太郎
出身地 日本大阪府吹田市
十三代目片岡仁左衛門
兄弟 五代目片岡我當
十五代目片岡仁左衛門
片岡静香(女優)
六代目片岡愛之助(養子)
当たり役
歌舞伎
心中天網島』の小春
『道明寺』の立田

二代目 片岡 秀太郎(にだいめ かたおか ひでたろう、1941年昭和16年)9月13日 - 2021年(令和3年)5月23日[1])は、俳優歌舞伎役者屋号松嶋屋定紋は七つ割り丸に二引、替紋は追っかけ五枚銀杏重要無形文化財「歌舞伎脇役」の保持者として各個認定(いわゆる人間国宝)。本名は片岡 彦人(かたおか よしひと)。同志社香里高等学校卒業[2]

来歴・人物

大阪府吹田市生まれ。十三代目片岡仁左衛門の次男。1946年(昭和21年)10月京都南座で『吉田屋』の禿役で本名の片岡彦人で初舞台[3]1956年(昭和31年)3月大阪歌舞伎座の『河内山』の浪路で二代目片岡秀太郎を襲名。上方色の濃い柔らか味の有る女形として活躍。女形では、『道明寺』の立田、『輝虎配膳』のお勝などの時代物、『心中天網島・河庄』の小春、『封印切』の梅川、『雁のたより』のお玉などの上方世話物のほか『加鳶鳶』のお兼、『文七元結』の女房などの江戸の生世話物もこなし、『仮名手本忠臣蔵』の力弥、『車引』の桜丸などの若衆役も得意とする。古風な女形を演じて秀逸との評価が高い。女優高田美和と結婚したが離婚、後に再婚し2人の女児を授かる。兄が五代目片岡我當。弟が十五代目片岡仁左衛門。養子に六代目片岡愛之助がいる。関西歌舞伎塾の講師としての人材育成にも努め、父十三代目仁左衛門の遺志を継承して上方歌舞伎の復興に尽くした。

2021年5月23日午後0時55分、慢性閉塞性肺疾患のため、大阪府吹田市千里山の自宅で死去[4][5]。79歳没[5]

最後の舞台は、2020年12月京都南座一谷嫩軍記 熊谷陣屋』の経盛室藤の方だった[4]

主な出演作品

テレビドラマ

著作

  • 片岡秀太郎(著)、坂東亜矢子(構成)『上方のをんな:女方の歌舞伎譚』アールズ出版、2011年12月。ISBN 978-4-86204-212-5 

関連項目

脚注

  1. ^ 歌舞伎俳優の片岡秀太郎さん死去共同通信 2021年5月27日配信
  2. ^ 読売年鑑2013』P.579(読売新聞東京本社,2013年3月27日刊行)
  3. ^ 片岡秀太郎さん死去 歌舞伎俳優、人間国宝―79歳”. 時事ドットコム (2021年5月27日). 2021年6月3日閲覧。
  4. ^ a b 片岡秀太郎さんご逝去”. 松竹 歌舞伎美人 (2021年5月27日). 2021年5月27日閲覧。
  5. ^ a b "歌舞伎俳優の片岡秀太郎さん死去 79歳 19年に人間国宝 片岡愛之助は養子". Sponichi Annex. スポーツニッポン新聞社. 27 May 2021. 2021年5月27日閲覧

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