父への反逆
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/06 06:29 UTC 版)
「ハインリヒ5世 (神聖ローマ皇帝)」の記事における「父への反逆」の解説
1086年、ローマ皇帝ハインリヒ4世の次男として生まれた。当時は皇帝と教皇の間で、教会の叙任権を巡って熾烈な闘争が展開されていた(叙任権闘争)。こうした中、兄の皇太子コンラートは父の方針に従わず、十字軍を提唱したことで知られるローマ教皇ウルバヌス2世に恭順の意を示していた。この態度を受け父は1098年5月のマインツの帝国会議で次男のハインリヒをローマ王位継承者として定めた。こうしてハインリヒは皇太子としての共同ローマ王位とイタリア王位を継承し、1099年1月6日にアーヘンで行われたローマ王戴冠式では何度も父への忠誠を誓わされた。 このため継承者とはいえハインリヒに政治的実権はなく、またハインリヒは破門された皇帝の下で諸侯が離反するのを危惧した。この状況に不満を持ったハインリヒは、兄と同じく父に叛旗を翻した。有力諸侯やローマ教皇もハインリヒを支持し、1106年初めに再びマインツで開かれた王国会議でハインリヒの王位が承認された。父はこの会議の後間もなく死去した。
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