潜在性としての実存
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/02 04:23 UTC 版)
「ジョルジョ・アガンベン」の記事における「潜在性としての実存」の解説
『来るべき共同体』(1990年)でアガンベンはこう書いている。「…もし人類が、このあるいはあの実体、このあるいはあの運命でしかないとすれば、いかなる倫理的経験も不可能である。このことはしかしながら、人間が単に虚無に委ねられるべきで、それゆえ運命を受け入れるのか受け入れないのか(ニヒリズムと決定論はこの点において一致する)を選ぶのは自由であるというようなことを意味しない。このことが導くことは、人間がなんであり、なんであるべきなのかという事であり、しかしこれは本質でも、厳密な意味でのモノでもなく、単に可能性あるいは潜在性としての実存=エグジスタンスに関する単純な事実なのだ。」 ここでアガンベンは「運命」という概念によって生を必然的に規定しようとする決定論(ニヒリズムも決定論のひとつとされる)を斥け、人間の経験や自由を可能にする条件として「潜在性」をとらえている。
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