湯川秀樹夫妻との関係
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/18 10:17 UTC 版)
湯川秀樹の自伝『旅人』が朝日新聞に連載されたとき、同新聞社学芸部の記者をしていた澤野は、これに協力した。このとき、少年時代の秀樹を神童として描くか否かをめぐって、湯川夫妻と澤野の間に対立があったといわれる。澤野は秀樹を努力型の偉人として描くのがよいとしたのに対し、秀樹の妻スミは「湯川は小さいときから神童で、衆にすぐれていたのです」と主張したそうである。連載終了から10年ののち、澤野が1967年4月、「山頂の椅子」を『新潮』に発表したとき、世間はこれをモデル小説だとして話題にした。澤野は「この小説を書くにあたって、湯川氏を知ったということが一つの契機にはなってますが、あくまできっかけであって、書くまでの10年間のうちに、ぼくの中で発酵しているわけですから、これは今日でも創作だと確信していますね」と、モデル小説であることを否定している。湯川は取材に対し、「大いに迷惑」といいながらも、「小説家はフィクション考えられるのが仕事やから、仕方ないと思ってますよ」という受け止め方をしていた。スミは「うちのこととはあまりに違いますから、別にどうということはございません」と、さらに冷静であった。
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