渤海封氏の起源
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/28 17:30 UTC 版)
『新唐書』によると、渤海封氏の出自は炎帝神農氏を起源にもつ姜姓であり、その後裔にして黄帝の教育係となった鉅という人物がその始祖であるとされる。夏王朝の時代には彼の子孫は封父(現在の河南省新郷市封丘県封父亭)という地を所領とする諸侯となり、これにより後世の人より封という姓で呼称されるようになり、鉅もまた遡って封鉅と呼ばれるようになった。周王朝の時代に入ると文王により国は滅ぼされ、その子孫は斉国の大夫となった。また、この時代に封姓と封父姓に分裂したが、時代が下るにつれて単一化して封姓に統一された。やがて彼らは渤海郡蓨県に移り住むようになり、当地における名族となっていった。その後裔である封岌という人物は後漢に仕え、侍中・涼州刺史を歴任した。その子が封咺であり、その四世孫が封仁であり、封仁は三国時代の魏において侍中の地位にあった。さらにその孫が封奕の祖父でもある封釈であるという。
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