渡辺佳英
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渡辺 佳英(わたなべ よしふさ、1915年(大正4年)6月1日 - 1993年(平成5年)4月28日[1])は、日本の実業家。東洋パルプ元社長。中小企業金融公庫元総裁。元通産省官僚。
妻のスミ子は、帝国海軍史上屈指の英才と評される、堀悌吉 海軍中将の二女。
経歴
星野嘉一の次男として愛知県に生まれ、外祖母・渡辺縫子の養子となる[2]。
1937年(昭和12年)高等文官試験の行政科と司法科をとり、翌年1938年(昭和13年)3月東京帝国大学法学部法律学科を卒業。同年4月に商工省に入省。入省後間もなく、内閣法制局参事官に転じ、新憲法にも貢献した[2]。
1948年(昭和23年)通産省に復帰[2]。その後、繊維局化学繊維課長、資源長石炭生産局生産課長、工業技術庁調整課長、公益事業委員会審査課長、企業局企業第一課長を歴任し、1952年(昭和27年)退官[2]。退官後は、呉羽紡を経て、1953年(昭和28年)2月東洋パルプ常務に就任。1957年(昭和32年)11月同社専務となり、1963年(昭和38年)5月同社社長に就任[2]。
その後、1974年(昭和49年)12月中小企業金融公庫総裁、1982年(昭和57年)2月東京金取引所理事長、1984年(昭和59年)11月東京工業品取引所理事長を歴任した[1]。
家族
- 妻・スミ子(堀悌吉の次女)[2]
- 長男・壮嘉(妻は河合良成の孫・久美子)[2][3]
- 兄・星野毅子郎(薬業経済研究所所長、妻は堀切善次郎の三女・幸子)[2]
- 弟・星野侃司(東洋パルプ元専務取締役)[2]
脚注
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