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清水宏臣

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/04/20 00:45 UTC 版)

清水 宏臣
基本情報
国籍 日本
出身地 愛知県豊川市[1]
生年月日 (1968-05-08) 1968年5月8日(56歳)[1]
身長
体重
187[2] cm
84[2] kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 投手
プロ入り 1987年 ドラフト外
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)

清水 宏臣(しみず ひろたか、1968年5月8日[3] - )は、愛知県豊川市出身の元プロ野球選手投手[1]。右投右打[2]

来歴

プロ入り前

豊川市立中部小学校豊川市立南部中学校を卒業[4]。実家は廃品回収業を営んでおり、スクラップ、古紙、学校の資源などを回収していた[5]。中学時代は内藤尚行と同級生で、2年生までは自身がエースだったが、3年生になって内藤にエースの座と背番号1を奪われ、一塁手にコンバートされた[6]

高校進学の際は内藤と同じ豊川高校から勧誘されたが、内藤への雪辱への思いからそれを拒否し、県立の小坂井高校へ進学した[6]。高校時代の豊川高校との対戦成績は0勝2敗である[6]。高校3年生だった1986年には、小坂井高校のエースかつ四番打者として夏の愛知大会を迎えた[7]。同大会では海南高校との1回戦(一宮球場)で3点本塁打を放ち、投げては9回3失点に抑えて6対3で勝利するが[8]、2回戦(半田球場)で岡崎東高校に10対3で8回コールド負けを喫した[9]

プロ野球選手時代

1986年に開催されたプロ野球ドラフト会議では指名候補に挙がりながら指名を受けることはなかったが[10]1987年1月23日、中日ドラゴンズドラフト外入団することが発表された[2]。当時は身長187 cm体重84 kgで、背番号は64[2][4][11]。推定年俸は300万[12][3]契約金は2000万円だったが[12]、その契約金は「それまで育ててもらったお礼として、またこれからはいくらでも稼げると思い」全額を両親に渡したという[5]キャンプには同年2月中旬から合流した[2]

1年目の1987年は打撃投手を務めたのみで[11]、一軍(セントラル・リーグ)だけでなく、二軍ウエスタン・リーグ)でも登板機会はなかった[13][14]。また二軍では打者として7試合に出場したが、打数は0である[15]。同年オフには年俸360万円で契約更改した[16][13]

1988年4月12日の近鉄バファローズ戦でウエスタン・リーグ初登板を果たした[11]。同年はウエスタン・リーグで3試合に登板、うち1試合に先発したが[1]完投0、010セーブ投球回7イニング、被安打10、与四死球8、奪三振4、自責点4、防御率5.14という成績だった[17]。また3試合で打席に立ち、1打数0安打、0本塁打、0打点、0勝利打点、0盗塁、0四死球、0三振、打率.000を記録した[18]。同年オフには年俸380万円で契約更改した[1][19]

1989年は春に打撃投手としてオーストラリアキャンプ[注 1]に参加したが、キャンプ中に任意引退選手となって支配下選手登録を外れ、練習生と同じ扱いになった[11]。同シーズンは練習生扱いのままで[21]、二軍でも出場機会はなく[22][23][24]、11月23日に中日から自由契約言い渡された[25]。本人は現役続行を希望し、球団からの打撃投手など球団職員としての採用打診を固辞した上で、中日以外のNPB各11球団で入団テストを受験したが、獲得球団はなかったため、現役引退を決意したと述べている[5]

現役引退後

引退から約1年後、長男であることから家業の廃品回収業を継ぎ、産業廃棄物・一般廃棄物の許認可資格を取得した[5]。父が急死した直後の1994年(平成6年)8月1日に個人商店から法人化した[5]。2006年時点では穂の国青年会議所 (JC) の理事長を務めており[26][27]、2017年7月からは豊川ロータリークラブの職業奉仕委員長に就任した[28]

選手としての特徴

長身から投げ下ろす速球が武器だった[16]。高校時代は先発完投を基本としており、低めに決まる速球に威力があると評されていた[7]。中日入団時は速球の球速は140 km/hで、荒削りながら球質も重いと評されていた[2]。本人は速球のキレの良さでは小松辰雄、球質の重さでは宮下昌己をそれぞれ目標として挙げ、本格派エースを夢見ていた[2]

投手としてだけでなく、打撃面でも非凡な才能を持ち、小坂井高校時代は野球部の外野フェンス(両翼90 m、高さ3.8 m)を超える打球をしばしば放っていた[2]

人物

子供のころは当時現役で、後のプロ入り時に中日の監督を務めていた星野仙一に憧れていた[12][16]。プロ入り時、ヤクルトスワローズに入団した内藤へのライバル意識を燃やしていた[6]

本人曰く、自身の名を「ひろおみ」と誤読されることが多いといい[5]、実際に「ひろおみ」と誤植した選手名鑑もある[12]。また現役選手時代の思い出として、フロリダ州ベロ・ビーチ英語版で行われた中日のキャンプに同行した際、先輩選手である大石友好大宮龍男から出身高校を聞かれ、しぶしぶ答えた際に「どこだ、それ」と言われたことを挙げ、自分は有名な高校から入団した選手とは違い、名前が知られておらず、先輩も少ないため、他人の2、3倍努力しなければ認めてもらえないと感じたと語っている[29]

詳細情報

年度別投手成績

  • 一軍公式戦出場なし

背番号

脚注

注釈

  1. ^ 中日は1989年から1992年まで、オーストラリアのゴールドコーストにあるパームメドウ球場英語版沖縄県石川市営球場で春季キャンプを行っていた[20]

出典

  1. ^ a b c d e f 「'89プロ野球 12球団全選手百科名鑑」『ホームラン』第13巻第4号、日本スポーツ出版社、1989年3月31日、25頁。  - 通巻:第126号。1989年3月号増刊。
  2. ^ a b c d e f g h i 中日スポーツ』1987年1月24日付第5版2頁「若竜「清水」誕生 この手でつかむぞ一軍を 背番『64』 きょう合流へ」(中日新聞社
  3. ^ a b 『週刊ベースボール』1987年3月2日号(第42巻第8号)、130頁、NDLJP:7909445/66
  4. ^ a b 『ドラゴンズ '88ファンブック』中日ドラゴンズ(発行)、中日スポーツ・大広(企画制作)、中日新聞本社(発売元)、1988年3月12日、36頁。ISBN 978-4806201908国立国会図書館書誌ID: 000000059519全国書誌番号: 00065070 
  5. ^ a b c d e f 清水宏臣 2010, p. 2.
  6. ^ a b c d 『中日スポーツ』1987年1月27日第5版2頁「'87ピチピチ若竜 5 清水宏臣投手(小坂井高) 内藤(豊川高→ヤクルト)には負けたくない 中3の悔しさプロで晴らす」(中日新聞社 増田)
  7. ^ a b 『中日新聞』1986年6月6日朝刊市民版15頁「甲子園めざして 高校野球愛知大会出場167校の横顔(10) 攻守ともに一段と充実 小坂井」(中日新聞社) - 縮刷版189頁。
  8. ^ 『中日新聞』1986年7月19日朝刊市民版13頁「一回戦 海南3-6小坂井 小坂井が長打攻勢」(中日新聞社) - 縮刷版890頁。
  9. ^ 『中日新聞』1986年7月25日朝刊第12版市民版12頁「二回戦 岡崎東10-3小坂井」(中日新聞社) - 縮刷版890頁。
  10. ^ 『ドラゴンズ '87ファンブック』中日ドラゴンズ(発行)、中日スポーツ・大広(企画制作)、中日新聞本社(発売元)、1987年4月14日、72頁。 ISBN 978-4806201847国立国会図書館書誌ID: 000000059519全国書誌番号: 00065070 
  11. ^ a b c d 『ドラゴンズ '89ファンブック』中日ドラゴンズ(発行)、中日スポーツ・大広(企画制作)、中日新聞本社(発売元)、1989年3月12日、53頁。 ISBN 978-4806202073国立国会図書館書誌ID: 000000059519全国書誌番号: 00065070 
  12. ^ a b c d e 「'87プロ野球 12球団全選手百科名鑑」『ホームラン』第11巻第4号、日本スポーツ出版社、1987年3月31日、73頁。  - 通巻:第106号。1987年3月号増刊。
  13. ^ a b 『週刊ベースボール』1988年2月29日号(第43巻第9号)、112頁、NDLJP:7909505/57
  14. ^ ベースボール・マガジン社 1987, p. 470.
  15. ^ ベースボール・マガジン社 1987, p. 468.
  16. ^ a b c d 「'88プロ野球 12球団全選手百科名鑑」『ホームラン』第12巻第4号、日本スポーツ出版社、1988年3月31日、37頁。  - 通巻:第116号。1988年3月号増刊。
  17. ^ ベースボール・マガジン社 1988, p. 472.
  18. ^ ベースボール・マガジン社 1988, p. 470.
  19. ^ 『週刊ベースボール』1989年3月6日号(第44巻第10号)、105頁、NDLJP:7909566/54
  20. ^ 12球団春季キャンプ地変遷」『NPB.jp』日本野球機構、2025年。2025年4月12日時点のオリジナルよりアーカイブ。2025年4月12日閲覧
  21. ^ 検索結果 | プロ野球在籍者名簿」『NPB.jp 日本野球機構』日本野球機構。2025年4月13日時点のオリジナルよりアーカイブ。2025年4月13日閲覧 - 「プロ野球在籍者名簿」の注意として、1991年の準支配下選手は(準支)と表記して在籍扱いとする一方、練習生は在籍より除く旨が記載されている。
  22. ^ 『ドラゴンズ '90ファンブック』中日ドラゴンズ(発行)、中日スポーツ・大広(企画制作)、中日新聞本社(発売元)、1990年3月14日、120頁。 ISBN 978-4806202226国立国会図書館書誌ID: 000000059519全国書誌番号: 00065070 
  23. ^ ベースボール・マガジン社 1989, p. 488.
  24. ^ ベースボール・マガジン社 1989, p. 490.
  25. ^ 中日スポーツ』1989年11月24日付第5版2頁「小美濃ら4人退団」(中日新聞社
  26. ^ 『中日新聞』2006年9月7日朝刊東三河総合19頁「野口健さん講演 10日豊川でJC 愛知ブロック会員大会」(中日新聞社)
  27. ^ 『中日新聞』2006年9月12日朝刊東三河版20頁「未来のまちづくり 地域住民と協働を 豊川でJC愛知大会」(中日新聞社)
  28. ^ 『中日新聞』2016年12月23日朝刊東三河版16頁「豊川RC会長に寺部さんを選任」(中日新聞社)
  29. ^ 清水宏臣 2010, pp. 2–3.

参考文献

関連項目




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