海外遠征 ~フジヤマケンザンの快挙~
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/13 00:38 UTC 版)
「1995年の日本競馬」の記事における「海外遠征 ~フジヤマケンザンの快挙~」の解説
春より多くの馬が、これまでになく積極的に海外遠征を行った。そして、12月10日に行われた香港国際カップ(国際G2)でフジヤマケンザンがハクチカラ以来35年ぶりの海外での重賞制覇を達成。 以下に、この年の海外遠征を列挙する。特に藤沢和雄・森秀行両調教師が海外遠征に積極的な姿勢を見せ、3年後のG1制覇への布石となった。 ヒシアマゾンがアメリカ・サンタアニタ競馬場で行われるサンタアニタハンデキャップ(G1)に出走すべく遠征したが、現地での調整中に軽い脚部不安を発症して出走せず。 藤沢和雄厩舎所属のクロフネミステリーがアメリカ・アケダクト競馬場で行われたディスタフハンデキャップ(G2)に出走し、3着と健闘。 森秀行厩舎所属のスキーキャプテンが日本調教馬として初めてアメリカ・ケンタッキーダービー(G1、チャーチルダウンズ競馬場)に出走したが、14着と大敗。当初はプリークネスステークス・ベルモントステークスの出走も予定していたが、馬体の消耗が激しかったため回避し、帰国。 ダンスパートナーがフランスに遠征。ノネット賞(G3)はその年のフランス1000ギニー勝ち馬マティアラの僅差2着に健闘。ヴェルメイユ賞(G1)は、直線で前が塞がる不利があり、6着に終わった。 前述の通りフジヤマケンザンが香港国際カップを制したが、その他の香港国際競走でも、香港国際ボウル出走のドージマムテキは5着、香港国際ヴァーズ出走のタニノクリエイトは4着。この3頭はいずれも森秀行厩舎所属。
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