浄瑠璃時代
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/09 12:20 UTC 版)
1865年(慶応元年)に文楽座で初舞台をした。また、1877年(明治10年)には名人の豊沢団平 (2代目)を相三味線に人気が高まる。1883年(明治16年)には文楽座の櫓下となる。 彦六座に対抗し、豊沢広助 (5代目)と吉田玉造 (初代)と紋下として文楽座を支え、その美声と品格が認められ、人形浄瑠璃での全盛期を築く。また、1903年(明治36年)には竹本春太夫 (6代目)と名乗る。また、小松宮彰仁親王から、摂津大掾の名を貰い、「妹背山」、「本朝廿四孝」、「先代萩」を語り、およそ75日間の大入りを果たした。後に1913年(大正2年)に「楠昔噺」を最後に人形浄瑠璃を引退した。その後兵庫県で死去。
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