法道寺_(堺市)とは? わかりやすく解説

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法道寺 (堺市)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/11/16 03:04 UTC 版)

法道寺


金堂

所在地 大阪府堺市南区鉢ヶ峯寺401
位置 北緯34度27分50.72秒 東経135度31分3.68秒 / 北緯34.4640889度 東経135.5176889度 / 34.4640889; 135.5176889座標: 北緯34度27分50.72秒 東経135度31分3.68秒 / 北緯34.4640889度 東経135.5176889度 / 34.4640889; 135.5176889
山号 鉢峯山
院号 閑谷院
宗派 高野山真言宗
本尊 薬師如来
創建年 天智天皇9年(670年
開山 法道
別称 鉢ヶ峯寺
札所等 河泉二十四地蔵霊場第23番
和泉八十八ヶ所霊場第29番
文化財 多宝塔、食堂、絹本著色十六羅漢図(重要文化財
木造阿弥陀如来坐像、木造金剛力士像2体ほか(市指定有形文化財
法人番号 4120105000978
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法道寺(ほうどうじ)は、大阪府堺市南区にある高野山真言宗寺院山号は鉢峯山。本尊薬師如来鉢ヶ峯寺(はちがみねじ)とも称される。

歴史

寺伝によれば、白鳳10年(670年)に法道(空鉢)によって開基され、山号は法道が当地にを納めたことに因んでいるという。

多くの支院・支坊を有し、当初は長福寺(ちょうふくじ)という名称であった。平安時代前期には空海をはじめ最澄円仁などがこの寺に参篭したという。多くの寺領が寄進され隆盛をきわめた時期もあったが、兵火にあって衰退した。

江戸時代江戸幕府第8代将軍徳川吉宗の嫡男・長福丸(ながとみまる、後の9代将軍家重)が将軍後継となったため同じ「長福」の漢字を使うのを避けて法道寺と改められた。

幕末には7坊の塔頭があった。

境内

  • 金堂
  • 多宝塔重要文化財) - 正平23年(1368年)建立。亀腹の上に蟇股が配置されている珍しい造りとなっている。
  • 食堂(重要文化財) - 鎌倉時代後期の建立。大阪府内で現存している食堂は他には金剛寺の食堂のみである。
  • 大師堂
  • 南門
  • 楼門
  • 庫裏

文化財

重要文化財

  • 多宝塔[1]
  • 食堂(じきどう)[1]
  • 絹本著色十六羅漢図 (十六羅漢像)[2]

堺市指定有形文化財

堺市指定保存樹木

前後の札所

河泉二十四地蔵霊場
22 金福寺 - 23 松尾寺 - 24 宝積院
和泉八十八ヶ所霊場
28 常真院 - 29 法道寺 - 30 法華寺

所在地

  • 大阪府堺市南区鉢ケ峯寺401

脚注

  1. ^ a b 堺市ホームページ(法道寺食堂・多宝塔)
  2. ^ 堺市ホームページ(十六羅漢像)
  3. ^ 堺市ホームページ(阿弥陀如来坐像)
  4. ^ 堺市ホームページ(金剛力士像)
  5. ^ 堺市ホームページ(阿弥陀三尊図)

外部リンク




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