法廷弁論作家について
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/13 08:26 UTC 版)
「エウテュデモス (対話篇)」の記事における「法廷弁論作家について」の解説
続いて、昨日クリトンに意見を述べた男の話題から、法廷弁論作家の話題へと移る。 ソクラテスはその男のような人々は奇態な人々だと批判しつつ、その男が「法廷弁論家」なのか「法廷弁論作家」なのか問う。クリトンは「法廷弁論作家」だと答える。ソクラテスは合点がいったという様子で、彼らのような「法廷弁論作家」は、「愛知家(哲学者)」と「政治家」の中間領域の人々であり、愛知(哲学)に関わりがある者たち、特にエウテュデモス等のような弁の立つものが目障りなので評判を陥れようとしているのだと主張する。 さらにソクラテスは、そうした人々は、適度に愛知(哲学)をやり、適度に政治もやり、危険や争いの外に立って知恵の実を取り入れていると思っているのであり、彼らのような「二つのものの中間」にある者たちに、 両方がそれぞれ「善いもの」と「悪いもの」で出来ている場合は、その「中間」は一方より善く他方より悪い「二番手」となる 両方がそれぞれ「善いもの」と「善いもの」で出来ている場合は、その「中間」は両方より悪くなる「三番手」となる 両方がそれぞれ「悪いもの」と「悪いもの」で出来ている場合は、その「中間」は両方より善くなる「一番手」となる ことを理解させるのは容易ではなく、これを「愛知(哲学)」と「政治」に当てはめてみると、彼らは両方を「善いもの」であると考えているのだから、それだと「中間」の彼らは「三番手」になってしまうのだが、「一番手」と思われることを求めていると指摘する。 そして、彼らがそうした望みを持つのはいいとしても、その人物はそのあるがままに考えねばならないと述べる。
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