泉涌寺・醍醐寺との関係
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/09 21:17 UTC 版)
解脱会は戦前より泉涌寺・醍醐寺との関係が深く、泉涌寺長老・醍醐寺座主(三宝院門跡)は毎年新宿の解脱会本部を訪問している。 解脱会は1939年(昭和14年)に御寺泉涌寺と結縁を成した。岡野聖憲は、敗戦により維持・運営に困難をきたしていた御寺泉涌寺に対する援助を行った。聖憲は死後、同寺境内に埋葬されることを希望し、1954年(昭和29年)、聖憲の遺骨を祀る「解脱金剛宝塔」が泉涌寺境内に建立された。聖憲の位牌は泉涌寺海会堂(かいえどう)に安置されており、聖憲の命日にあたる11月4日には、「解脱金剛御年祭」が行われるほか、毎月4日には、聖憲に対する法要が執り行われている。解脱会は泉涌寺を、伊勢神宮、橿原神宮と並ぶ三聖地と定め、聖地巡拝として毎年1000人ほどが参列している。教団の関西道場も泉涌寺東林町にある。 岡野聖憲は1931年(昭和6年)、醍醐寺三宝院にて出家得度し、法名を授かった。この時解脱会は醍醐寺三宝院と法縁を結び、解脱教会本院に「真言宗醍醐派醍醐教会解脱分教会所」を併設。解脱教会は真言宗醍醐派を上部団体として教団活動を開始している。1948年(昭和23年)に聖憲が遷化すると、醍醐寺三宝院から諡号「解脱金剛」と権大僧正位が贈られた。更に1954年(昭和29年)、醍醐寺三宝院から聖憲に大僧正位が追贈された。解脱会は醍醐寺にも集団参拝を行っている。
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