河内楠入道
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/27 03:51 UTC 版)
河内楠入道は、播磨国大部荘の荘園領主である東大寺に雇われた雑掌であった。永仁2年(1294年)に、讃岐公、宗円房らと共に大部荘で非法行為を行い、「御領衰弊」の状態に至らせたため、雑掌の職を解任された。 佐藤和彦は、この「東大寺文書」と「天龍寺文書」を合わせ、楠木氏は畿内の広い範囲を行動範囲とし、各地の荘園の代官職を請け負って富を積み、各種の所職を手中に集めた新しいタイプの武士の一族であり、一所懸命の地にしがみつき、所領の保持だけを念とする幕府の御家人とは異なる一族だったと述べた。
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