池田長常 (片桐池田家)とは? わかりやすく解説

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池田長常 (片桐池田家)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/03/24 08:36 UTC 版)

池田 長常(いけだ ながつね、文政3年(1820年) - 明治9年(1876年10月23日)は、岡山藩家老執政。片桐池田家第10代当主。

父は岡山藩家老池田長貞。子は池田長準、花房職居室。通称は大学、伊賀、近江、謙堂。号無適斎。

生涯

文政3年(1820年)池田長貞の子として岡山に生まれる。嘉永4年(1851年)父長貞の隠居により家督相続し岡山藩家老、周匝2万2000石の領主となる。慶応元年(1865年藩主池田茂政に仕置家老に任じられる。慶応3年(1867年)には軍事御用惣引請となり岡山藩の兵制改革を行った。慶応4年(1864年)隊員を主に足軽からなる銃隊19隊を編成した。

明治2年(1869年)隠居して家督を嫡男長準に譲る。明治9年(1876年)10月23日没。明治33年(1900年)長常の明治維新への功績により、長準が男爵に叙され華族となった。

参考文献

  • 『日本近代軍服史』



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