池田長處
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池田 長處(いけだ ながつね、元禄9年2月3日(1696年3月6日)[1] - 宝暦4年10月22日(1754年12月5日))は、岡山藩の家老。片桐池田家第5代当主。
父は岡山藩家老池田長喬。母は伊木幸和の娘。正室は伊木忠義の娘。子は池田長仍、池田長玄、池田政辰室、日置忠芳室。幼名は梅之助、広介。通称は但見、大学。
生涯
元禄9年(1696年)、岡山藩家老池田長喬の嫡男として周匝に誕生する。元禄17年(1704年)、藩主池田綱政に御目見する。享保8年(1723年)、父長喬の死去により家督相続し、岡山藩家老、周匝2万2000石の領主となる。享保11年(1726年)8月、母方の伯父伊木忠義の娘と結婚する。宝暦4年(1754年)閏2月、隠居して家督を嫡男の長仍に譲る。同年10月22日没。
脚注
- ^ 『岡山県通史 下編』(岡山県通史刊行会、1962年)p.311
参考文献
- 『池田老臣累記』
- 『備前家老略伝』
池田 長處
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宝暦4年10月22日(1754年12月5日))は、岡山藩の家老。片桐池田家第5代当主。
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