江藤伍長
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/16 09:42 UTC 版)
神田大尉と最後まで行動を共にしたが、自分はもう動けないと悟った神田大尉によって斥候を命じられる(=自分を置いて進み、生き残れということ)。直立したまま凍りついた仮死状態で発見されるが、辛うじて意識を取り戻し、救助隊に惨劇の第一報を伝えた。村山伍長と共に山間部出身の1人であり、互いに会話する場面がいくつか見られる。結果としては村山も共に生還しており、知恵を活かしてさまざまな寒さ対策(古新聞を服に挟んで保温したり、唐辛子を靴下に入れて血行を促進するなど)を行ったことが、2人の命を救ったと言える。モデルとなった後藤房之助伍長は故郷に帰って村会議員を務め、1924年に死去。
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