江曽島用水
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/02 18:10 UTC 版)
六道界隈に源を有する自然河川の湧水量が乏しく、慢性的な水不足に苦慮していた江曽島地区が宝木用水の延長を思案。 1885年(明治18年)、県の許可をとり、宝木用水を管理する10か村と交渉の結果、下流5か村の承認を得れば開削は可能と了承を得たが、新たな開削で十分な利水ができなくなるという不安から承認は難航し、仁良塚の山向こうの湧水をつなぎ水量の増大するならばと賛同を得られた。 1905年(明治38年)に工事開始。土地買収に364円、工事代が338円の計700円余が費やされた。江曽島村の人夫のほか宝木用水組合も協力を惜しまず、多くの方々の力添えで西岡から江曽島に至る水路が開削された。 市内を通る新しい川ができたと市民は驚き、「新川」と呼ぶようになった。
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