永川の戦い
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/02 15:34 UTC 版)
北朝鮮第15師団は北部戦線の要衝、永川(ヨンチョン)の韓国第8師団に攻撃を開始した。永川は道路と鉄道の集約点であり、北朝鮮軍が占領すれば大邱、慶州への進出が可能となるばかりか、韓国第1軍団、第2軍団が分離され、国連軍の補給路も遮断されることになる。韓国軍は第2軍団長の劉載興准将に第8師団も併せて指揮させた。劉准将は永川西方で戦闘中の第1師団、第6師団から1個連隊ずつ抽出し、丁参謀総長と共にウォーカー中将に戦車部隊を要請した。ウォーカー中将は1日だけ戦車小隊を韓国軍に回した。 第8師団は防御に努めたものの永川は9月6日未明に占領された。しかし師団工兵隊とM46パットン1個小隊が投入され永川は奪回された。韓国軍は永川の南4キロメートルで防御線を築き、永川の争奪戦を繰り広げながら反撃体制を整えた。9月9日に劉准将の指揮の下、総反撃が開始、韓国第8師団、第19連隊、第11連隊による包囲攻撃により北朝鮮第15師団は壊滅し、9月13日には戦線をほぼ回復した。
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