氷川神社 (川越市久下戸)とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > 氷川神社 (川越市久下戸)の意味・解説 

氷川神社 (川越市久下戸)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/05/10 12:17 UTC 版)

氷川神社
所在地 埼玉県川越市久下戸2785
位置 北緯35度53分26.0秒 東経139度32分40.8秒 / 北緯35.890556度 東経139.544667度 / 35.890556; 139.544667 (氷川神社 (川越市久下戸))座標: 北緯35度53分26.0秒 東経139度32分40.8秒 / 北緯35.890556度 東経139.544667度 / 35.890556; 139.544667 (氷川神社 (川越市久下戸))
主祭神 素盞嗚尊
社格 村社
創建 不詳
別名 久下戸氷川神社
テンプレートを表示

氷川神社(ひかわじんじゃ)は、埼玉県川越市神社

歴史

創建年代は不明である。ただ当地の「久下戸(くげど)」という地名は、郡家(ぐうけ)に由来するといわれており、律令制が整備された頃に武蔵国一宮氷川神社の分霊を勧請した可能性がある。「観音寺」が別当寺であった。観音寺は曹洞宗の寺院であったが、明治初期の神仏分離により、廃寺に追い込まれた[1]

明治初期の近代社格制度において、当社は「無格社」となった。1912年(明治45年)の神社合祀により周辺の8社が合祀された。1934年昭和9年)に村社に列せられた[1]

久下戸には、かつては当社の旧別当寺の観音寺の他に、「最勝院」「千手院」「観音院」の寺があった。しかし明治初期に寄付金をめぐるトラブルがあり、当時の廃仏毀釈の風潮もあって、全て廃寺となった。これらの寺の檀家葬儀は以降神葬祭となり、旧寺の境内は共同墓地となった[1]

文化財

  • 久下戸氷川神社の算額(川越市指定有形文化財 昭和47年2月8日指定)[2]

交通アクセス

脚注

  1. ^ a b c 埼玉県神社庁神社調査団 編『埼玉の神社 入間・北埼玉・秩父』埼玉県神社庁、1986年、152-153p
  2. ^ 有形文化財(書跡・典籍・古文書、考古資料、歴史資料)一覧川越市

参考文献

  • 埼玉県神社庁神社調査団 編『埼玉の神社 入間・北埼玉・秩父』埼玉県神社庁、1986年



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  
  •  氷川神社 (川越市久下戸)のページへのリンク

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「氷川神社 (川越市久下戸)」の関連用語

氷川神社 (川越市久下戸)のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



氷川神社 (川越市久下戸)のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの氷川神社 (川越市久下戸) (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS