水原保延(みわらやすのぶ)
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「黒羽織党」の記事における「水原保延(みわらやすのぶ)」の解説
通称は清五郎。品川主殿の二男。水原保祐の養子となり、馬廻組に属した。950石。弘化3年馬廻組頭となり金沢町奉行を兼任。翌年、御算用場奉行となる。長連弘の黒羽織党政権が誕生すると、有力メンバーの一人として活躍。徹底した財政の整理に努め、一時的に藩財政を好転させる。安政元年長連弘の失脚に連座して免職。同3年馬廻組頭に復職、その後藩校明倫堂の督学となり、万延元年には支藩富山藩の財用方御用となって同藩の財政整理に尽力した。文久2年末に再び御算用場奉行となり、翌年には産物方を設置して産業を奨励した。慶応4年(1868年)4月に隠居(清幽と号する)。
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