民間人収容所と住民
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/05 10:12 UTC 版)
「沖縄の米軍基地」の記事における「民間人収容所と住民」の解説
1945年、沖縄戦で4分の一の住民が命を奪われ、生き残った住民は米軍の民間人収容所に送られた。米軍は沖縄中部で基地建設を進めていたため、中南部の大半の住民は北部の収容所に送られた。収容者はピーク時で33万人を超え、飢餓やマラリヤなどで22か所の収容所で最低でも6423人が死亡している。特に北部の収容所運営の状態は極めて劣悪なものであった。 詳細は「沖縄の収容所」を参照 1954年から1964年にかけ、在日米軍軍政下の沖縄で住民のボリビアへの移住が進められた。生活基盤を奪われた沖縄住民の約3,218名がこの期間にボリビアへ移住し、今日までに生存できた被強制移住者達は、その子孫を含めても806名に過ぎないことが判明している。 詳細は「オキナワ移住地」を参照
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