民主労働党時代
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/29 14:09 UTC 版)
労働運動家としての人生を送った沈相奵は、2004年4月の第17代総選挙に民主労働党(以下、民労党)の比例代表候補として出馬して当選、25年にわたる労働運動の末に進歩主義政党の国会議員となった。 2004年、国会財政・経済委員会と運営委員会に所属した。2007年には国会財政・経済委員会の他に、予算・決算特別委員会、米韓FTA特別委員会で活動した。活動期間中、沈相奵は他の民労党所属議員と、既存の巨大政党の国会議員を牽制する役割を果たしたことは、評価されている。 2007年大統領選挙で、沈相奵は権永吉、魯会燦と共に党内予備選挙を闘った。この予備選挙では、沈相奵は2位となり、魯会燦との決選投票に持ち込んだが、首位に立つことはなく民労党の大統領候補とはならなかった。 以後、2007年大統領選挙が終わると、2002年大統領選挙、2004年国会議員選挙より低調な得票率を記録したことと関連し、党指導部を退き、翌2008年1月12日から民労党非常対策委員会(非常委)委員長として活動した。
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