毛利末広とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > 毛利末広の意味・解説 

毛利末広

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/03/29 13:46 UTC 版)

毛利 末広
生誕 1890年12月15日
日本 愛知県
死没 (1953-11-29) 1953年11月29日(62歳没)
所属組織  大日本帝国陸軍
軍歴 1911年 - 1945年
最終階級 陸軍中将
テンプレートを表示

毛利 末広(もうり すえひろ、1890年明治23年)12月15日[1] - 1953年昭和28年)11月29日[1])は、大日本帝国陸軍軍人。最終階級は陸軍中将。功四級[2]

経歴

1890年(明治23年)に愛知県で生まれた[1]陸軍士官学校第26期、陸軍大学校第35期卒業[3]1935年(昭和10年)に梨本宮守正王附武官となり[2]1937年(昭和12年)に陸軍歩兵大佐に進級した[2]1938年(昭和13年)に歩兵第10連隊長に転じ[2]日中戦争に出動、石家屯の警備に当たる[1]1939年(昭和14年)に東京陸軍幼年学校附を経て[2]1940年(昭和15年)に名古屋陸軍幼年学校長に就任[2]。同年12月には陸軍少将に進級[2]

1941年(昭和16年)に独立混成第3旅団長に転じ[1]、中国戦線に復帰。山西省の警備に当たり、八路軍と戦闘となる[1]1944年(昭和19年)に陸軍中将に進級し[2]第58師団長に親補される[1]応城に駐屯し[3]湘桂作戦に参戦[3]1945年(昭和20年)3月9日中部軍管区司令部附を経て[1]3月11日第154師団長に親補される[4]。同年7月16日には中部軍管区兵務部長に転じ[1]、終戦を迎えた。

1947年(昭和22年)11月28日、公職追放仮指定を受けた[5]

脚注

  1. ^ a b c d e f g h i 福川 2001, 721頁.
  2. ^ a b c d e f g h 外山 1981, 296頁.
  3. ^ a b c 福川 2001, 722頁.
  4. ^ 第74号 昭和20年3月31日 陸軍異動通報」 アジア歴史資料センター Ref.C12120937900 
  5. ^ 総理庁官房監査課編『公職追放に関する覚書該当者名簿』日比谷政経会、1949年、「昭和二十二年十一月二十八日 仮指定者」84頁。

参考文献

  • 福川秀樹 編著『日本陸軍将官辞典』芙蓉書房出版、2001年。ISBN 4829502738 
  • 外山操 編『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』芙蓉書房出版、1981年。 ISBN 4829500026 



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  
  •  毛利末広のページへのリンク

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「毛利末広」の関連用語

毛利末広のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



毛利末広のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの毛利末広 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS