毛内靖胤
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毛内 靖胤(もうない のぶたね、1880年3月1日 - 1936年1月16日)は日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍中将。
毛内 靖胤 | |
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生誕 | 1880年3月1日![]() |
死没 | 1936年1月16日 |
所属組織 | ![]() |
軍歴 | 1900年 - 1932年 |
最終階級 | ![]() |
出身校 | 陸軍士官学校 陸軍大学校 |
配偶者 | 毛内てい |
除隊後 | 屋井乾電池社長 |
墓所 | 多磨霊園 |
経歴
青森県青森市出身。弘前藩士毛内嘉胤の長男として生まれる。毛内氏の嫡流で、毛内有之助の又甥にあたる。弟は海軍少将毛内效。
弘前中学(現・青森県立弘前高等学校)、陸軍士官学校(12期[1])を経て、明治34年(1901年)少尉となった。日露戦争に従軍後、陸軍大学校(22期[1])に入学した。卒業後、大正10年(1921年)朝鮮軍司令部附から大正11年(1922年)歩兵第75連隊長となった。後に歩兵から航空兵科に転身した。その後、所沢陸軍飛行学校教育部長、航空本部第一課長、航空本部検査部長、明野陸軍飛行学校長、航空本部総務部長、東京湾要塞司令官などを務めた。昭和7年(1932年)4月11日に東京湾要塞司令官退任後、屋井乾電池社長などを務めた。
脚注
参考文献
- 「青森県人名大事典」1969年、東奥日報社。
- 外山操 編『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』芙蓉書房出版、1981年。ISBN 4829500026。
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