毛内茂胤
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時代 | 江戸時代末期-明治時代 |
生誕 | 文政7年(1824年) |
死没 | 明治21年(1888年) |
別名 | 有右衛門、平格、有人 |
主君 | 津軽順承→承昭 |
藩 | 陸奥弘前藩 |
氏族 | 桓武平氏千葉氏流毛内氏 |
父母 | 毛内裕胤 |
兄弟 | 茂胤、有之助 |
子 | 嘉胤 |
毛内 茂胤(もうない しげたね)は、江戸時代末期の弘前藩士。
概要
文政7年(1824年)、津軽藩用人、毛内裕胤の長男として生まれる。弟は新選組隊士毛内有之助。
嘉永5年(1852年)5月、父が病死。家督300石を継ぎ、有右衛門を名乗る[1]。
明治維新後は、有人を名乗り隠居。家督は長男の嘉胤が継いだ。
その他
- 毛内氏当主は代々、有右衛門を名乗ってきたが、明治になって通称と諱を併称する事が禁止された為、嘉胤以降はこの名を用いなくなった。その為、この茂胤が最後の有右衛門である。
- 一部のネット記事等では、茂胤と嘉胤(茂胤の息子)が同一人物とされているが、全くの別人物である。
脚注
- ^ 『弘前藩庁日記』。
- 毛内茂胤のページへのリンク