母・貞子
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/17 06:03 UTC 版)
鹿児島県出身で兄は政治家の岩切重雄。夫の勇吉は51歳の若さで他界しているが、貞子は夫の闘病中に一家全員で洗礼を受けクリスチャンになった。女性の自活が困難だった当時に女世帯を切り盛りする一方、姉妹社の収入から大金を喜捨しては町子・毬子と喧嘩していた。その独断的性格に対して、戦前戦中は「ヒットラー」、戦後は吉田茂にちなみ「ワンマン」と娘達が渾名していた。なお、町子は吉田茂を「右顧左眄しない」と評価し、好きな政治家に挙げている。晩年に貞子は認知症となり、我が娘だと見分けられなくなった町子を前にして「昔はやり手とも呼ばれてました。しかしそのようなことは虚しいものです。大事なことは謙遜でございます。」と回顧している。1987年に91歳で死去。
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